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記憶に残るトルネード、米国でも惜しまれた野茂の引退

 現役続行へ未練を残しながらも、メジャーで通用する投球ができないという理由で、野茂英雄投手が引退を決意した。1995年にロサンゼルス・ドジャース入りした野茂は、厳密には史上2人目の日本人メジャーリーガーだが、誰もが認める「パイオニア」だった。

 94年のオフ、希望していた複数年契約と代理人交渉が認められないと、野茂は米国行きを決意した。当時の野茂はフリーエージェントでなかった以上、所属する近鉄(現オリックス・)バファローズの許可が出ない限り、メジャー挑戦は不可能かと思われた。しかし野茂は、米国ではフリーエージェント扱いになるという盲点を突き、日本では任意引退とし、ドジャースとのマイナー契約にこぎつけた。

 当時は近鉄に限らず、プロ野球界は野茂の行動を身勝手という見方をしていた。しかし、周囲の雑音に影響されることなく、野茂は強い意志を持っていた。メジャーリーグに定着できなければ、日本に戻ることのできない状況に自らを追い込んだ。

 英語がほとんど話せない状態で異国で生活することは、プロのアスリートに限らず、一般人でも難しい。だが、野茂は春季キャンプで結果を残し、ついにメジャーリーガーとなる。単なるメジャーリーグの投手でなく、「トルネード」と呼ばれた独自の投球フォームから繰り出されるフォークボールを武器に三振の山を築くと、「ノモマニア」という言葉が生まれ、ルーキーながらオールスターの先発投手になった。

 2年目の96年には「打者天国」と言われるコロラド・ロッキーズの本拠地クアーズ・フィールドでノーヒットノーランを達成。さらにボストン・レッドソックス時代の2001年にも2度目の無安打無得点試合。両リーグでのノーヒッターという、過去に3人しかいなかった偉業を野茂は成し遂げた。

「(アメリカ人が)魅力を感じる投手になりたい」

 ドジャースに入団が決まった際の会見で、野茂はこう語っていた。98年途中にニューヨーク・メッツへトレードされるまでの間、全米中のスポーツファンを魅了したのは間違いない。その後、制球難と故障がマイナス要素となり、7チームを渡り歩く「ジャーニーマン」となったが、メジャー通算123勝という立派な数字を残した。野球への強い愛情と自身の強い意志がなければ、今季、カンザスシティ・ロイヤルズで3年ぶりにメジャーリーガーとして登板することはなかっただろう。

 野茂の引退発表は日本だけでなく、米国でもニュースとして取り上げられた。野茂のパフォーマンスが、アメリカのスポーツ界に大きなインパクトを与えた証と言えよう。ドジャース時代の指揮官、トミー・ラソーダ氏は「将来の殿堂入りを願っている」という言葉まで残した。日米通算で201勝、3122奪三振数は、偉大な投手として評価されて当然だろう。

 しかし、野茂がメジャーで活躍をした期間は短いというのが、正直なところ。通算287勝、歴代5位の3701奪三振、さらにワールドシリーズ制覇を2度経験と、野茂を上回る事績を残しているバート・ブライルベン(元ミネソタ・ツインズほか)は、いまだに殿堂入りしていない。日米両方における貢献度という点で候補にしてもいいのでは、という声も少しあるが、野茂が殿堂入りする可能性は、ほとんどないだろう。

 日本人選手の殿堂入りとなれば、その可能性があるのは現在のところイチロー外野手(シアトル・マリナーズ)だけだろう。2001年にルーキーながらア・リーグMVPに選ばれただけでなく、メジャー移籍から昨年まで7年連続200安打を記録。ポストシーズンでのプレーが2001年の一度だけと、マリナーズが結果を残していないのはマイナス要素となり得るが、今季まず日米通算3000本安打をクリアし、過去に27人しか達成していないメジャー通算3000安打に少しでも近づければ、殿堂入りの可能性は高まる。

 殿堂入りの可能性ではイチローが優勢かもしれないが、功績では野茂。野茂は今後も記憶に残る偉大な投手として、日米で語り継がれることになるだろう。

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順位表

ア・リーグ東部地区 9月30日

1. レイズ -
2. レッドソックス 2.0
3. ヤンキース 8.0
4. ブルージェイズ 11.0
5. オリオールズ 28.5

試合結果

インター・リーグ 10月29日

レイズ 3-4 フィリーズ

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